イセは橋の上にいた。
川は一直線に伸びて、河岸も土手も、土手に沿って植えられている銀杏の木も、高さが揃った工場やビルも一点に収束するように放射状になる。
その一点を見つめていると、自分も一緒に収束して吸い込まれるような感覚がして、ゾクゾクと産毛が逆立つ。
イセは橋の上にいた。
川は一直線に伸びて、河岸も土手も、土手に沿って植えられている銀杏の木も、高さが揃った工場やビルも一点に収束するように放射状になる。
その一点を見つめていると、自分も一緒に収束して吸い込まれるような感覚がして、ゾクゾクと産毛が逆立つ。
「ほら、よく言うだろ」アサは愉快そうに煙草の灰を落とした。はぁ。僕はアサが何を話し出すのか、思案を巡らせる。
「インディアンサマーは昼寝しろって」アサは得意げに煙草の煙を吸い込む。いや、聞いたことない。
「それはあなたの願望」と横に座っていたイセが笑う。子供を見守る母親のようだ。アサは煙草の煙で輪っかを作るのに夢中になっている。この男が「本当にボスなのか。と思ったでしょ」とイセが僕の考えを継いで言う。「適当なのよ。基本」とまた笑う。
「やる時やりゃあいいんだよ」
「いつも適当じゃん」
「まだやる時が来てないだけだ」笑いながら煙草をガラスの灰皿に押し付ける。その屈託のない表情は、やはりボスとしての風格も威厳も貫禄もない。あるのは、しいて言えば自由か。
「アサさん、マルコがきてるぜ」ノックの返事を待たずに開いたドアから顔を覗かせたのはゼロだ。
「ああ、通していいよ」
「そう言うと思ってもう連れてきてる」ドアを手で押さえているゼロの前を男がするりと入って来た。痩身だが鍛えた胸筋がボタンダウンの上からでも分かる。この男がマルコか。
「マルコ、牧場を任せることになったサチだ。サチ、こいつ、マルコ」アサが紹介してくれる。
「噂は聞いてる」僕は手を差し出す。
「噂になるほど何かを成しちゃいない」マルコが握手に応える。その感触はやはり、鍛えられてそうだ。
僕はウィスキーが入ったグラスを持て余していた。ステージではビキニの衣装で飾った女が豚を連れて登場したところだった。グリーンランドから連れてきたという触れ込みのその豚は首輪を付けられてはいたが、人に慣れているらしく女が歩く方向に抵抗もせず後を追っている。店にいる人間はだれ一人としてステージなど見ていなかったが、女は笑顔を振りまいていた。
僕はグラスを口につけ、ほんの少し傾けた。上等な酒はみんな高級クラブかサロンが買占めるため、このようなスピークイージーではアルコールに色がついただけの、およそ酒とは言い難い飲み物が出される。牧場農夫の募集にこの店を待ち合わせ場所に選ぶとは、一体どういう人物なのか。スタンディングのカウンターに肩ひじをついてステージを見ていたため隣に女がいる事に気付かなかった。そしてその女が雇い主だという事も。
「ミスターサチ?」
振り向きながら相手にそれと判らない様に身なりを確認する。すらりと背の高いスーツ姿の女だ。綺麗に梳かれた髪は、埃とアルコールと湿った木材と僅かな豚の匂いで満たされたこの空間には似合わない艶やかさだった。僕は相手が分かるであろう最小限の動きで頷いた。