結んで開かず(二)秀則

今回引っ越しをする前に、一つだけ母に聞かれたことがある。

「プールは続けるの?」と。

母の言うプールとは、スイミングスクールの事だ。僕が通いだしたのは二年生に上がる時だ。引っ越して一年経つが遊ぶ友達も居ないらしいと母が心配した。そして習い事をさせようという事になり、兄が一年前から通っていたこともあって、「秀則について行け」と、尻を叩かれるように送り出されたのが最初だった。

通い始めたばかりの頃は緊張しっぱなしだった。兄と二人で迎えのバスを待っている時も、喉がカラカラに乾いて、何か苦しいなと思ったら息をしていなかったという事もあった。スイミングスクールまではバスで50分掛かった。その間ずっと俯いていたのでバス酔いをした。到着したら急に心細くなり、兄を見失うわけにはいかないという思いで、すぐ後ろをくっ付いて更衣室に入った。ここでも、置いて行かれるわけにはいかないと、なりふり構わず急いで着替え、更衣室の奥の扉へと兄の姿を追いかけた。扉を出ると、体育館の半分くらいの広さのホールだった。扉の横で「ちょっと待っとけ」と言って、兄はコーチの所に行ってしまった。何やらコーチと一言二言会話を交わしてから、兄はすぐに戻ってきた。「お前十級だからここでいいみたい。もうすぐ体操始まるからここに居ろ。俺は一級だからあっちに行くから」とホールの向こうの端っこまで行って、同じ年代っぽい人と何かを話して笑い合っていた。学校で友達もつくらず、昼休みも逃げるように図書室に駆け込んでいる僕とは違い、兄はスイミングスクールでも気の許せる人がいるのかと思うと、何やら住んでいる世界が、この十級と一級くらい離れているように感じられて、手の届かない存在に思えた。

体操が終わると各クラスのコーチが並んでいる先頭に立ち、人数確認や点呼をとった。終わったクラスから、ホールの正面にある大きなガラス張りの扉を抜けて、室内プールに入っていく。数十人でごった返してる中、もう兄の姿は見つけられなかった。

帰りのバスに座ると、兄がビニール袋を一つ僕に手渡した。中をのぞくと、五円玉の形をしたチョコレート二つと、マッチ箱くらいのフーセンガムが一つ入っていた。僕は無意識に息を大きく吸い込んで、目を丸くした。スイミングが終わると、おやつがもらえるのか。お菓子が食べれるのは遠足のときか正月くらいだったので、これにはびっくりした。それから五年生が終わるまで、週二回、休まず通った。最初はおやつに釣られたからだけど、通ううちにプールの水の中が好きになったからだ。それまで聞こえてた誰かの話声や、たくさんの人が泳いで水が跳ねる音や、各クラスのコーチの号令が、水に入ると一気に聞こえなくなって、どこか遠くの世界の事ように思えたし、浮力で体が軽くなる感じや、水をかくごとに前に進むのが楽しかった。自分の手で水をかき、自分の足でキックする。誰の力も借りずに、誰とも協力したりせずに。泳ぐ時は一人でいるのが当たり前なのだから、負い目に感じたり、ビクビクしなくてもいいんだ。プールの水だけが、一人で居ていいんだよと言ってくれてるみたいだった。

行きのバスは寝たふりをして、練習中は黙々と泳ぎ、帰りのバスは寝たふりをしながらおやつに手を伸ばした。水泳はすぐに上達して、毎月一回の昇級試験も順調にクリアした。時には二つ飛び級で上がったりもした。九級の試験に合格すると、イルカが弓なりに跳ねているイラストの真ん中に9と書かれたピンバッジがもらえる。それをスイミングスクールのバッグにつけて、その人が何級か一目でわかるようになっていた。通い始めて一年も経たないうちに一級も合格し、九つのバッジがバッグに並んだ。ちょっと誇らしかったが、練習前の体操をするホールの一級の列には兄の姿はなかった。少し前に、「野球がしたい」と言ってスイミングスクールを辞めて、リトルリーグに入ったのだ。あの時、違う世界の人だと思った兄がいた場所まで来たのに、兄はまた、僕の知らない世界に行ってしまった。でもさほど、落ち込む事は無かった。水泳は、一人で居ていいんだ。僕も許してもらえる場所なんだ。

だから、続けるのかと母に聞かれたとき、迷うことなく頷いた。そして今日、スイミングスクールに入会の手続きに母と一緒に来ていた。アパートから、歩いて十分くらいの場所だった。前のスクールで一級だった事とメドレーの自己ベストを言うと、「じゃあここでも一級からで大丈夫ですね」となった。僕は早く泳ぎたかったが、練習は来週からということになった。