結んで開かず(三)

「喜一はどう思ってるの」

クラス全員が輪になって座っている。僕が座っているところから一番遠い場所、つまり僕の真正面から、浩哉が僕に投げかけた。僕と浩哉を線で結んだ右半円に座っているみんなが左を向き、左半円に座っているみんなが右を向き、クラス全員の顔と向かい合った僕は、三十三人分の視線に耐え切れず、息をするのも忘れていた。浩哉の声は責めるでもなく、守るでもなかった。ただその目は、「何か言いたいことがあるんだろ」と言っていた。

 みんなの机と椅子を教室の後ろに下げて、空いたスペースで輪になって話し合いをすることは、今までも何回かあった。クラスで何か問題があればみんなで話し合い、みんなで結論を出す、というのが、盛隆先生の教育方針らしい。社会の授業のとき、聖徳太子憲法十七条で十八条を作るとしたら何がいいか話し合いなさい、ということもあった。盛隆先生は、話し合いの最中は口を出すことなく、黒板の横の先生の机で何か書きものをしたり、調べ物をしていたりして、目線もこちらに向けることは無い。無関心を装っているのは、大人の存在を意識せずに話し合ってほしいからなんだろうけど、書いたり調べたりしているのは、きっと「ふり」で耳に神経を集中させているに違いない、と僕は思っている。その先生の机は他の教室のと違って、どこかの社長が使ってるような大きな机だ。その上にたくさんの書類や本が置かれていて、引き出しもたくさんあるし、秘密基地の一画みたいでちょっとカッコよかった。

 実は、教室もちょっとカッコいいと思っている。僕たちは六年六組なんだけど、校舎には、五クラス分の教室しかなくて、六組の教室は元々フリースペースだったらしい。フリースペースは、そこだけ廊下より階段二段分低くなっていて、雨の日でも児童が遊べるように設けられた絨毯敷きの場所だ。そこに急きょ、黒板や後ろの棚、廊下側の壁をそれらしく継ぎ足したらしい。廊下側の壁と言っても、全面じゃなくて腰の高さくらいまでで、その上の部分は窓枠みたいに作られているけど、ガラスははまってなく、出入り口のドアもない。教室としてはちょっと変だけど、それらの継ぎ足した部分は全部木でできていて、ログハウスみたいで気に入ってるんだ。

 この教室に初めて着た日、最初に話しかけてくれたのが浩哉だった。始業式前のHRでみんなの前で転入の挨拶をしたとき、「じゃあ、あだ名はきーちゃんにする?」と浩哉が言った。あだ名というのは仲の良いもの同士で呼び合うものではないのか、僕をあだ名で呼んでくれるのかとびっくりした。目立たないように気配を消して、隠れて毎日をやり過ごしてきた僕を。何から隠れ、こんな性格だから友達ができないのか、友達ができないからこんな性格なのかも判らなくなっていた僕を。別れる事は分かっているのに仲良くなることの意味は何なのか、寂しさを埋める為に友達を作るのか。それは友達に対して失礼ではないのか。そういう凝り固まった考えで出来た分厚い壁を、それがどうしたの?という体で、ひらりと乗り越えてきた浩哉に、「もっとカッコいいのがいい」と、考えるより先に答えていた。それを聞いたクラスのみんながアハハと笑った。それは、気難しそうな転校生をどう扱っていいかと見守っていたら、浩哉が一石を投じてくれたので話しかけやすくなったという安堵と、これでもう友達だねという温かさに包まれた笑い声だった。少しむず痒さを感じ、僕もアハハと笑った。