結んで開かず(六)ヒロト

まだ午前中なのに高く上った太陽は、僕たちのうなじを焦がしている。「次はこの信号まででいい?」と靖が折りたたんだ地図を指さした。「さっきアイスクリン見た?」Tシャツの襟をつまみ、パタパタしながら和東が言う。閑散とした国道沿いに止まっていた移動販売車の事だろう。「見た見た。百五十円って書いてあったね」僕はリュックから取り出したタオルに顔をうずめながら答えた。「今度あったら止まろうよ」「いいね」「じゃあ、一応この信号までで、アイスクリンがあったら止まろっか」靖が改めて地図を指し、僕たちの真ん中に差し出した。僕と和東はうんうん頷き、「オッケー」と息を切らせながら答えた。水筒からキャップに注いだ麦茶と、今にも溶けだしそうなアスファルトの匂い、噴き出す汗が染み込んで少し重くなったTシャツが、冒険の色を濃くさせる。

夏休みに入る前に、各委員会で集まる時間があった。一学期の活動内容を振り返り、反省点などをまとめ、二学期の活動目標、やってみたいことを話し合った。あの時は涙を流したルミも、以前と変わらずよく笑い、僕たちにも明るく話しかけてくれた。委員会が終わって教室に帰る廊下で、夏休みも何かして遊ばないか、と靖が提案してきた。それから夏休みに入るまで、お互いの教室を行き来して、どこで遊ぶか、何をするかを話し合った結果、ひめゆりの塔まで自転車で行ってみようということになった。日帰りのサイクリングだけど、夏休みに友達と約束して遊ぶことや、子供だけで遠出することも初めてだった僕にとっては、ちょっとした冒険に踏み出すような気持だった。日取りや時間を決めて、集合場所は僕の家のアパートの駐車場ということになった。
近所に六年生が僕だけだったので、必然的に朝のラジオ体操が終わると、みんなのカードにハンコを押す係は僕だった。ハンコをインクにポンポンと叩く作業が、なんとなく大人になった気分がして好きだった。僕がハンコとインクを持って立つと、その前にみんなが並び、インクのふたの上にカードを置き、ハンコを押していく。そのとき必ず「おはよ」と言ってカードを置いて、ハンコを押すと「ありがと」という女の子がいた。いつも長い黒髪をポニーテールにしていて、後れ毛が張り付く首元がちょっと大人っぽく見えた。
ラジオ体操が終わると家に帰ってご飯を食べ、駐車場におりると、すでに靖と和東は集まっていた。二人の自転車は新品でピカピカだった。僕のは兄からの借り物で、所々錆びついていた。でも不思議と、見劣りなどは感じなかった。この僕が、今の僕なんだ。それも全部含めて一緒に冒険をしてくれる靖と和東がいる。それ以上何かを望んだら、罰が当たる。「ごめん、待った?」「んーん、俺も靖も今来たとこ」「今和東と話してたんだけど、最初の休憩地点はこの信号らへんにしよっか」「オッケー」「じゃ、いこっか」「うん」すでに気温が上がり始めている夏の空気を吸い込み、ペダルを踏んだ。

先頭を走る靖が、信号の手前で自転車を降りた。何度目かの休憩地点だ。僕も通行の邪魔にならないように自転車を止めた。途端に汗が噴き出す。最初は晴れてよかったと思っていた天気も、こう暑くては雨でも降ってくれた方がましだと思った。干上がった喉に流し込む冷たい麦茶は食道を冷やして、胃に落ちた。喉元過ぎれば熱さを忘れるというけど、冷たさは忘れないでほしい。このままずっと冷たければいいのにと思った。タオルで汗を拭きながら和東に近寄り「アイスクリンなかったね」と声をかけた。「うん、残念。あとどんくらい?」二人で靖を見る。「今五分の四くらい。もうすぐだよ」「おぉすごい、小学生記録なんじゃない?」こめかみを伝う汗を肩で受け止めながら和東が笑う。

「おまえら何年生?」はじめは僕たちに話しかけているとは気づかず、麦茶を飲んでいた。「無視するんか」と言われ振り返ると、中学生くらいの日焼けした四人組がいた。「六年生です」靖が答えた。「ふぅん、ちょっと話しようや。ついてこい」と一人が歩き出した。靖と和東はためらいながら後に続いた。え、ちょっと、行くの?こういうのついて行ったらだめなんじゃないの?「ちょっと待って」と二人を止めようとした。すると「いいからついてこいや」と残りの二人に両側から腕を持たれて、なすすべなく男たちと一緒に歩いた。歩道から獣道に入り、右に曲がるとすぐ十段くらいの階段を上ると、ちょっと開けた場所に墓石が四つ並んでいた。そこに僕たち三人並んで立たされ、男たちは階段を背にこちらを囲むように立った。逃げ道はない、と悟った。どこから来た、誰と来た、何人で来たという男の質問に靖は丁寧に答えた。僕は「答えなくていい」と男を見ながら言った。すると行く手を阻んでいた男が、僕の首の後ろに手をまわし「お前さっきから生意気だな」と、もう片方の手で僕の腹を殴った。僕は息ができなくなり、かはっと声をもらし身を屈めた。男はさらに、僕の背中を踏むように蹴った。僕は地面に突っ伏し、痛さと苦しさで動けなかった。男は僕のポケットを探って、財布を取り出し、中身を確認した。お札だと汗で濡れて使えなくなったら困るからと、母がくれた千円分の小銭が入っていた。お昼代にとくれたおこずかいだ。母が毎日働いたお金だ。こいつらに渡すわけにはいかない。僕は男の太ももにしがみつき、立ち上がり、そのまま持ち上げて転ばそうと力を入れたが、男はびくともしなかった。別の男に引きはがされ、地面に投げられた。「百円だけは残しといてやる」と言って中身を取り出し、うつ伏せに倒れている僕の背中に財布を投げた。「お前らも財布出せ」靖も和東もお金を取られたみたいだった。そうか、これがカツアゲというやつか。土の味を覚えながら、妙に納得した。痛みをこらえてようやく立ち上がったときには男たちは居なくなっていた。自転車の所に戻っても姿は見えなかった。「どうする」和東が心配そうな顔をこちらに向けて言った。「行こう」僕は答えた。このまま目的も果たさずに帰ったら、負けっぱなしのような気がした。

街路樹の影が伸びて、いくらか涼しくなった帰り道、二人は「あそこでジャンピング頭突きしてやれば勝てたかもね」と笑っていた。なんで笑えるんだろう、と思った。あの男たちの事も、人を殴ってまでお金を取るなんて、何でそんなことができるんだろう、と不思議だった。家に帰れば、必ず母に楽しかった?ときかれるだろう。あった事をそのまま言うと、心配するだろうな。僕が楽しめるようにと渡してくれたお金を取られたと言うと、悲しむだろう。大きな嘘は言い続けたらホントになるってヒロトは歌ってた。母を心配させないためにつく小さな嘘はだめなのかな。教えてよ、ヒロト