結んで開かず(十一)

 冬休みが近付き、教室のロッカーに置いていたリコーダーや鍵盤ハーモニカ、習字道具などを小分けにして持って帰っている。家に帰っても母はいないから、ちょっと憂鬱だ。
 母は僕が修学旅行の時に入院して手術した。乳癌だったらしい。ほどなく退院して、またスーパーで働いていたけど、今度はお腹の子宮ってとこに癌が見つかった。最初の時と違って、治療に時間がかかるらしく、体力面と精神面を考えて、母の実家がある隣の県の病院に入院した。隣といっても、海で五百キロも離れているから、心配だ。冬休みには、兄弟三人で母の実家に泊まりに行くことになっていた。
 家の事はまだクラスで誰も知らない。盛隆先生はたぶん知っているだろうけど、みんなの前でも言わないでいてくれている。
 その日家に帰ると、女の人の声が聞こえた。食卓で父とお酒を飲んでいた。知らない人だった。父は帰宅した僕を見つけ「挨拶せんか」と言った。形も声も父のものだったが、僕の知らない人だった。女の人は「いいのいいの。ごめんね、お邪魔して」と言って、僕の頭を触ろうと手を伸ばした。僕は反射的に身を引いて、その手を避けた。その日はすぐに帰ったようだったが、そのうち、家に泊まるようになった。
 冬休みになり、母の病院を訪ねた。元気そうだったが、薄いニット帽を被っていた。病気になる前からニット帽は使っていたけど、襟足から延びる髪の毛が、今はない。僕は知っているんだ。それは、抗がん剤とか、放射線治療の副作用だ。つまり、手術では治らない癌なんだ。僕は、家に知らない女の人がいることを言うべきか迷ったが、元気に振る舞う母を見て、僕も心配させないために元気に振る舞おうと考えた。だけど、兄が、その話を、切り出した。母は、苦労かけてごめんなさいね、と謝った。「お母さんは、何も悪い事、してないじゃん」と言うと、母は手を伸ばし、僕の頭を撫でた。それは強く、やさしい、紛れもなく、母の手だった。
 数日後、兄と妹と空地で野球をしていたら、母のお兄さんの真一さんがやって来て、そのまま隣町の真一さんの家に招かれた。真一さんはゴルフの練習場を営んでいて、家は三階建てで、地下室と屋上もある。この屋上で何度か、夏に近くで行われる花火大会を眺めたことがあった。僕たち三人は、居間の大きなテーブルに並んで座らされた。何か良くない話だというのは察しがついたが、内容はこうだった。三学期からは真一さんの家に住んで、近くの学校に通うこと。必要なことは全部真一さんがするので心配はいらない事。子供部屋にあるもの以外でこっちに持ってきたいものがある場合は、書き出して真一さんに渡す事。
 僕は最近、兄の影響で野球に興味を持ち始めていたんだ。観測会以来、綾との関係も急速に近くなってたし、このまま付き合えればなぁと思ってたし、甲子園常連の水産高校は家の近所だし、中学で野球部に入って上手くなって、水産高校に行って、兄弟で甲子園決めて、一番に綾に報告して、それか、中学では水泳部に入るのもいいと思うし、そしたら僕が二年になったら綾と一緒に同じ水泳部で競い合って、メドレーで2分切って、オリンピック行くのもいいし、僕には、思い描く未来があるんだ。
「僕は、友達も居るし、向こうでやりたいこともあるし、転校は、嫌だ」体の中で何かをねじりながら出した声は、掠れていた。
「もうすぐ中学生になるんだろ。もう大人なんだから聞き分けなさい」真一さんの声は、その性格と同じく、堅かった。
 大人には夢をかなえる力があると思ってた。子供にはない力が。だから、早く大人になりたかった。だけど、大人だから諦めろという。じゃあ、夢は、いつ叶うの?大人って、一体なんなの?また勝手に転校とか決められて、散々子ども扱いされた挙句、大人なんだからって、一体僕は、なんなの?今の状況で父のもとに戻っても、母に心配かけるだけだって分かってる。でもみんなとこのままお別れなんて、出来るわけがない。
 それから真一さんと何度か話し合った結果、兄と妹は、このまま真一さんのところに住み、僕は一度戻って、卒業してからこっちに来ることになった。それから母の見舞いに行き、結果を伝えて「わがまま言って、ごめんなさい」と言うと、母は僕の腕を掴み、引き寄せ、ハグをした。「いいの。お友達は大事にしなさい」生まれて初めての、そして最後のハグだった。