結んで開かず(十二)

 三学期最初の委員会の会議の為、放送室に向かっていたら「喜一!」と誰かが後ろからぶつかって来た。見なくても、綾だと分かった。いつだったかお互いの誕生日の話になり、僕が3月生まれで綾が4月生まれだったので、学年は一つ違うけど歳は一か月しか変わらない事が判明し、その日から綾の君付けが無くなった。
「あれ、委員会は?」
「三学期から放送委員になりましたっ」綾は踵を揃えて敬礼の仕草をした。「先輩、よろしく」
「思ってないくせに」
敬礼したまま、綾はイヒヒと笑った。
 スタジオに入ると他のみんなは集まっていて、嘉納先生の司会で会議は始まった。新しく委員会に入ることになった五年生三人の紹介と、その三人を含めて三人一組を三組作るくじ引きをした。僕は靖と、五年生の男子の幸翼と組むことになった。その他に活動内容として、卒業式までの準備や卒業生に対する心境などのインタビューをドキュメンタリー方式でまとめる事と、三月に行われる来年の新一年生との親睦会の取材や、それらの人員配置、大まかなスケジュールの話し合い、確認が行われた。
 会議が終わると、僕は「今日一緒に帰ろっか」と綾を誘った。引越しの事を話しておきたかったからだ。綾は少し驚いた様子だったけど、すぐに「いいよ」と受けてくれた。

 今日の会議の事を、声を弾ませながら喋っている綾を見て、そういえば二人きりになるのは初めてだなと、照れ臭さを含んだ緊張で身を固くして歩いた。綾が放送委員会に入ったことで、また一つ、僕の世界と綾の世界が重なったなと思い、そしてそれを結んでくれるのはいつも綾だったなと感じ入る。天文クラブやスイミングスクールでも、いつも綾の方から話し掛けてくれる。今だってそうだ。それにしても、今日の綾は良く喋る。話は冬休みの宿題に移っていた。
「それでさ、読書感想文書いてなかったから、」
「あ」
「うん?」
「あ、いや、本、返さなきゃと思って」
「図書室?」
「うん。冬休みだからまとめて借りてて」
「本、好きなんだ?」
「うん、まぁ。あんまり読めなかったけどね。あの、オレさ、」
「ん?オレって言う事にしたの?」綾は笑いたいのを堪えているみたいだった。
「あ、うん。なんだよ」恥ずかしさの裏返しの強がりで答えた。
「んーん。オレさ、なに?」
「うん、卒業したら、引っ越す事に、なったんだ」どういう感情で喋ればいいのか分からず、言葉を探り探り、ゆっくりと話した。
綾は表情を固めたままで何度かまばたきをしてから少し俯き、独り言のように呟いた。「なんだ、そんな話だったの」
「あ、うん、ごめん。あのさ、なんていうか、忘れないよ、綾の事。観測会の時にさ、」
「待って」綾の表情は強張っていた。その声も。「聞きたくない。ごめん。帰る」言うが早いか、綾は走り出した。僕は見送る事しかできず、帰るって言ってもこの後スイミングで会うし、どうすればいいんだよ、と途方に暮れた。
 家の鍵を開けてドアノブを引っ張ると、ガシャンとびくともしなかった。鍵は開いていたのか。という事は、父が居るのか。父は仕事がある日とない日があるのか、居たり居なかったりだった。何の仕事をしているのか、そもそも仕事をしているのかも知らないままだったなと考えながら、今度は静かに鍵を回した。
 出迎えたのは真一さんだった。父は居なかった。
「お母さんに頼まれてね。荷物取りに来た」
「そうなんだ」
真一さんは冬休みの間にも何度か家に来たらしく、兄と妹の学習机はすでに運び出されていた。まだ慣れることができない、少し広くなった子供部屋に入り、ランドセルの中身を入れ替えて、明日の準備をした。
「段ボール持って来てるから、少しずつ荷物まとめときなさい」
「うん」

僕の周りに、少しずつ、何かが近づいてくる気がした。立ち向かってもどうにもならない何か。色んな事を諦めなきゃいけない何か。逃げることもできない何か。兄妹の机があるはずのスペースが、部屋に置かれている空の段ボール箱が、それを呼び寄せている。

 自分で道を切り開くこともできない。全て後手後手に回り、その後で自分に出来る事を探すしかない。やりたい事じゃなく、出来る事をするしかないんだ。
 綾に対してどうすればいいのか、何と話しかければいいのか結局分からないままだったけど、分からないけど、来るのを待っておこうと思い、スイミングの準備をして「プール言ってくる」と真一さんに声を掛け、いつもより早めに家を出た。
 

 入口の自動ドアの外から、受付の横の柱に掛かっている大きな時計を覗いた。あと十分で体操が始まる。今日は休むのかなと諦め、自動ドアをくぐると、後ろから綾が走って来た。
「あれ、喜一も遅かったの?」
「あ、いや、あの、さっきはごめん」
「んーん。なんで、こっちこそ、ごめんね。行こっ。遅れちゃう」
「うん」
僕たちはそれぞれ、更衣室に向かって駆けた。