結んで開かず(十五)喜一5

お別れ会が終わると、そのまま真一さんに連れられて飛行機に乗った。真一さんは母の兄で、僕をわざわざ島まで迎えに来てくれたんだ。

今日で友達みんなと別れなければいけない寂しさと、その事を自分ではどうすることもできない無力感を、訴え嘆く対象も見つからないまま、自分のうちに閉じ込め、それがまた行き場の無い怒りとなり、僕の手足をわなわなと震わせた。物凄い速さで小さくなってゆく島を飛行機の窓から眺め、もう来ることは無いかもしれないという感傷に浸りながら、一方では、やっと父と離れられるという安堵と解放感で胸を撫で下ろした。それと同時に、友との別れより己の束縛からの解放を喜ぶのかと罪悪感が湧き出し、整理できない感情の渦に巻き込まれて、息も絶え絶え、混乱と放心を繰り返した。

飛行機が空港に着くと真一さんのデボネアの助手席に座り、この一年の事を思い返していた。十三年しか生きていない僕にとって、そのうちの一年はあまりにも速く過ぎ去ってしまった。一人で生きていけると信じていた僕に初めて友達ができた。好きな人もできた。だけど、母は病気になった。両親は離婚するのだろうか。したほうがいい。そんなことを考えていると真一さんが運転する車は桜島に入り、祖父母の家があったという場所で止まった。

今は真一さんの経営するゴルフ練習場の倉庫に建て替わっている。車を降りると県道越しに海が見え、倉庫の裏手には黒いスポンジのような岩がゴロゴロしている。噴火で吐き出された火山岩だと真一さんに聞いたことがある。僕が初めて来た時にはすでに倉庫になっていたので、元はどんな家が建っていたのかは知らないし、祖父母の記憶もない。海と火山という暴力的な一面を持った自然に挟まれた生活は、どんなものだったのだろうと想像したことがあったけど、僕だったら壁一枚隔てた外に溶岩で出来た岩が転がっていると思うと、夜も眠れないんじゃないかと思った。

倉庫の裏から続く車では入れない細い道を5分ほど上ると、きれいに磨かれた石で区切られて墓石が立っている。登ってきた道を見下ろすと、倉庫の屋根が西日に染まっている。その先に錦江湾とそれを挟む大隅半島薩摩半島があって、遠くには開聞岳が見える。真一さんの先導で倉庫から持ってきたバケツと雑巾で墓石の汚れを落とし、ほうきで落ち葉を集めた。線香を焚き、卒業の報告をしなさい、と真一さんは手を合わせる。僕は墓参りとか、仏壇に線香をあげるのが苦手だ。会った事もない祖父母や先祖様と何を話すのか。報告しろと言われても、その対象のイメージもはっきりしないから空中に向かって話しかけてるみたいだし、いつ終わっていいのかも分からない。したがって、手ごたえもない。祖父母や先祖様のお陰で僕も今、生きていることは分かっているし、普段の生活の中ででも、ふと考えることもある。死んだ人たちが仏様になって空から見守ってくれているんだったら、その事にも気付いているはずだし、わざわざお墓の前でこれ見よがしに手を合わせる必要があるのかなと思う。かと言って何もしないわけにはいかず、真一さんに倣って手を合わせた。卒業できました。祝ってくれなくていいので、お母さんを治してあげて下さい。