波音

携帯の情報サイトでは、波高はひざ、すねだった。それでもいい、と思った。

「サーフィンは一人でふらっと行って、波があったら入って、なかったら海眺めて、ふらっと帰れるからいい」と誰かが言っていた。実際は、波待ちしていたら「見ない顔だな、ビーチクリーン来てないだろ。上がれ」と言われたり、あるポイントでは前乗りしてしまったからすぐに板から降りて、後で相手に謝ったのだが、「浜に上がれ」と殴られたりもした。そういうロコが厳しいポイントばかりではないが、ふらっと行って、ふらっと帰れるというイメージからはかけ離れていた。少なくとも僕には。

携帯を助手席に投げて目を瞑った。車の窓越しに聞こえてくる波の音は、右の耳から入ってきて、そのまま頭の中をぐるっと一回りして、左の耳から抜けて行く。波の音は、どんなシチュエーションでも、こころを落ち着かせて、おだやかにしてくれる。窓を少し開けて煙草に火をつけた。わずかな隙間を入り込んでくる風の音と、その向こうで聞こえる波の音が入り混じって、また、頭の中をぐるっと一回りした。

ドアを最小限開けて、素早く外に出ると、堤防越しの海をゆっくりと見渡した。冷気で鼻腔が一瞬、つんと痛んだ。風はいろんな方向から吹いていて、前髪が右へ行ったり左へ行ったりした。波はひざ程度だったが、海面のいたるところを毛羽立たせて、まるでおろし金のようだった。そんな状態なので、サーファーどころか、見渡す限り人は居なかった。だが、それがいい。そう思った。一人でふらっと来てふらっと帰るなら、誰も海に入りたがらないときに来ればいいのだ。そんな波でも、運が良ければ一回くらいは乗れるだろう。乗れなくてもいい。誰も居ない中、海に入れるなら。

誰も居ない海で、来るはずのない波を待ち続けた。五ミリのウェットスーツとはいえ、そろそろ指も動きが鈍ってきていた。戻ろうかと思った時、五メートル沖の海面がこんもり持ち上がった。来た。即座に板を浜に向けてパドリング。間に合うか。一瞬軽くなった。板に手をつき足を胸元に引き寄せる。乗れた。立ち上がると、海面は視界に入らず、まるで宙を滑っているよう。板が波を割く音と、体が風を切る音しか聞こえてこないこの数秒が、僕を自由にしてくれる。そのまま真っすぐ浜まで滑ると、リーシュを足から外し、板を脇に抱えて車に戻った。

ペットボトルの水で板に付いた砂と海水を流し、ハッチバックを開けて車に積み込んだ。ウェットスーツのまま運転席に座り、携帯を手に取った。百十番に電話をかけ、グローブボックスからピストルを取り出した。電話が繋がると、自分のこめかみを打ち抜いた。波と風の音は耳の中には入らず、車の中で消えて行った。

 

 

 

結んで開かず(一)喜一

アパート近くのスーパーマーケットに併設された食堂で、ソーキそばを食べた。引越しをしてから最初の家族での食事だった。薄味だったけど、豚肉だけはじゅわっと味が染みていて、軟骨まで全部食べた。食べ終わってもまだ口には豚肉の甘みが残っていて、満腹なのにじわっと唾が湧いた。でもそれは、食堂の外に出るまでだった。スーパーマーケットの隣には製糖工場があって、雲よりも白い水蒸気をむくむくと吐き出していた。その匂いが、サトウキビを絞りかすを雑巾にくるんで蒸しているに違いないと思うくらい、臭かった。嗅いだ一瞬お腹に力を入れないと嗚咽が出る。砂糖を、あの甘くておいしい黒砂糖を作っているとはとても思えなかった。その匂いが届く範囲に、引越し先のアパートはあった。製糖工場の前の道路の向かい側だ。引越ししてきて分かった事は、家族五人で二つしか部屋がないこと。親は当然知ってただろうけど、僕には知らされていない。というか、引っ越す先がどんな部屋なのかも話題にのぼらないくらい、そして僕からも敢えて聞かないくらい、僕と家族との会話はなかった。

僕が口をつぐんだ理由は二つある。幼稚園を卒園して、小学校に上がる時。最初の引越しの時からだ。昨日まで寝ていた家と、違う家。昨日まで歩いていた田んぼに囲まれた道と違う、新幹線の高架下の道。昨日まで友達と遊んでいた神社もない。友達もいない。挨拶をすればお茶とお菓子をくれる、青い屋根のおばちゃんもいない。どこを探しても知っている人が誰もいない。なんなんだこれはと、環境の変化に全く追いつけなかった。夜になり布団に入ると「朝になったらまた知らない人だらけの学校に行くのか」と考えてしまい、一人震えた。世の中に委縮してしまった。これが一つ目の理由。些細なことだけど、物事のきっかけとはそういうものだ。

引っ越しという言葉を知らなかった僕は、自分ではどうすることもできない事があるんだと知った。それでも家族がいたから、家にいるときは少しは安心できた。のはずだった。父に殴られるまでは。ある日家族で食卓を囲んでいる時だった。友達がいないことを悟られない様に明るく振る舞い、学校での出来事を話していると、何が癇に障ったのか、それともお酒がそうさせたのか、突然「うるさい」と言って僕を殴った。僕の体は宙に浮かび、奥歯が折れた。母が止めに入りそれ以上にはならなかったけど、小学校一年生の僕を黙らせるには十分だった。それ以降、家の外でも内でも誰とも話さず、一言も声を発しないまま一日が終わる日々を過ごした。すると今度は「何を考えているか分からないから話せ」と怒られた。何を考えているか分からないのはこっちのセリフだ。「黙れ」と言われて黙れば、「話せ」と言われる。僕は意地になって、さらに口をつぐんだ。閉ざした心を体現するように、そして孤独に耐えられるように、手のひらをぎゅっと結んだ。これが二つ目の理由だ。

そんな調子だったから、友達ができないまま二年生になった。それからしばらくすると長屋の隣の家に、同じ二年生の男子、竹林が引っ越してきた。周りの世界に一線を引いていた僕だったけど、一緒に登下校しているうちに竹林にだけはぽつりぽつりと、話をするようになった。三年生になる頃には、キャプテン翼の真似をして、サッカーボールを二人で追いかけた。だけど四年生に上がる前に、竹林は引っ越して行った。

僕はその時、開きかけていた拳を、またぎゅっと握ってしまった。それから今回の引越しまで、つまり五年生が終わるまで、再び閉じられた手を開くには、最初の何倍もの力が必要なんだって知った。そして、僕にはその力が無いって事も。誰かと仲良くなっても、いつかは離れなくてはならなくなる。喧嘩して嫌いになったわけでもないのに。僕にはどうすることもできないまま突然にだ。消化されることのない寂しさを持ち続けるくらいなら、最初から一人でいいという諦めもあった。仲良くなる人が一人増える度に、別れの寂しさが一つ増えていくのかと思うと、いつか僕の体は寂しさでいっぱいになって、寒くて凍えてしまうんじゃないかと、怖かった。

その結果、周りのもの全てを近付かせないまま、製糖工場の匂いがする狭いアパートで、僕の六年生が、もうすぐ始まろうとしていた。