結んで開かず(四)ルミ

早く帰れる家庭訪問の週が終わった土曜日の放課後、放送委員の全員が放送室に呼び出された。呼び出したのは顧問の嘉納先生で、縁なしメガネの奥にある目はいつになく厳しかった。

僕が放送委員に入ったのは、他に手を挙げる人がいなかったからだ。やりたい人が全員なれるわけなく、規定の人数よりやりたい人が多い場合は、じゃんけんで決める。それが嫌だった。負ければまだいいけど、あわよくば勝ってしまったら、負けてしまった人の「やりたかった」という気持ちを僕の中でどう消化していいのかわからない。たとえやりたいことがあっても、他にやりたい人がいたら譲る。その結果、活動内容も知らない放送委員になった。そしてたじろいだ。

放送委員の仕事は登下校時の全体放送、給食時のテレビ放送、全校朝礼のマイクや機材の準備と、めちゃめちゃ目立つ活動だったからだ。勇気とか度胸とかそんなの関係ない、なってしまった以上、やるしかない、と腹をくくった最初の登校時の全体放送は「みなはん、おはようございま、オェ、今日は〇月〇にち、オェ」と嗚咽交じりのひどいものだった。それを全校児童が聞いているのかと思うと全身からボッと火がたつ恥ずかしさだった。その作業を、大人のようなスムーズさでこなす他の委員を見て、気おくれしつつ、カッコいい放送室に心を躍らせた。

畳一枚ほどの大きさの沢山のスイッチが並ぶミキサー、大きなガラス張りの隣の部屋の撮影スタジオのようなブース。テレビカメラ2台がキャスターに乗せられていて、キャスターには自転車のようなハンドルがついている。そのハンドル部分で、ズームやピント合わせができるようになっていた。それらを使うことができるのにワクワクしない男子なんかいないだろう。

放送委員は六年生の各クラスから一人ずつの、全部で六人だった。クラスのみんなと同様に、委員の六人も明るく朗らかに接してくれた。委員が決まってあいさつのためみんなが最初にスタジオに集められた時、顧問の嘉納先生は何やらカメラのコードを調べているようだった。その手を一瞬止めて、ひと呼吸してこちらに顔をあげ「そんなバナナ」と真顔でつぶやいた。僕たち六人は腹を抱えて笑った。それだけでみんなと分かり合えたような気分になった。

放送委員は放課後放送室に集まるように、という嘉納先生の放送を聞き、僕が放送室に入ると、他の五人はすでに集まっていた。ただ室内は今までに感じたことのない雰囲気だった。ルミがミキサーの前で座り込み、泣いていた。その両側であかねと香織がルミの肩を抱き、慰めているようだった。その隣に嘉納先生が立ち、それに向かい合うように入口近くで靖と和東が少し俯いて立っていた。僕はどうしていいのか分からず、とりあえず男子側に二人と同じように立った。ルミは普段から明るくてよく笑う女子だったから、そこからは想像できない泣いている姿を見て、なにか女子の見てはいけない一面をのぞいたような気がして、不謹慎ながらドキッとしてしまい、同時に罪悪感が湧き出した。
「喜一はまだなんで呼ばれたか分かっていないと思うから説明すると・・」嘉納先生が言うにはこうだった。金曜日の給食時間に、その週に学校であったことをまとめて、校内ニュースとしてテレビ放送をしていた。そのキャスターをルミが勤めていた。僕とあかねと香織が照明や撮影、マイクの音量などを担当し、靖と和東が映像の編集担当だった。編集機材も充実していて、キャプチャーで画像を切り取ったり、テロップを入れたりして、放送の評判もよかった。そこまでなら何も問題なかったのだけど、靖と和東が編集機器を使って色々試して遊んでいたらしい。そして、ルミがニュースを読んでいる画像を切り取り、そこから腕や頭を切り離して宙にフワフワ浮いているようにして遊んでいたところに、ルミが部屋に入ってきて、それを見て泣き出したということだった。
「自分が同じようなことをされたらどう思う?」と嘉納先生が人差し指で眼鏡を上げながら言った。

どう思うと言われても、僕だったら、そんなこともできるんだ!と一緒に騒いだと思う。だけど、ルミは泣いている。なぜだろう。もしかして、ルミはいじめられてると思ったのかなと考えた。それで悲しくなったのかなと。ルミが泣いているのは違う理由なのかもしれないけど、男子と女子で受け取り方がまるで変わるということを知った。

男子にとって何ができるのか未知の機械は宝の塊だけど、女子にとってはそれだけでは済まされない事もあるあるのだなという驚きと納得で、世紀の大発見を知らされたような気持ちだった。それにしてもルミ可愛かったなと浮かび、それをかき消すように自分の頭にゲンコツをした。

帰りに近所のスーパーに寄った。この店でレジ打ちをすることになった母の所に行き、食券をもらった。「美香もいるから、一緒に帰ってやって」「うん」と後ろ目に返事をした。一緒に帰ってって言ったって、家はすぐそこじゃん、と思いながらソーキそばをすすった。食べ終わると、美香の分の食器と重ねて、返却口に持って行った。「おいしかったね?」と返却口の向こう側から食堂のおばちゃんが話しかけてきた。「うん、ごちそうさまでした」「妹の面倒見て、えらいねぇ」と言われたけど、向かいの家に一緒に帰ることぐらいでそう言われるのが恥ずかしくなり、美香を連れて店を出た。製糖工場の匂いにむせながら、後ろからついてくる美香をチラリと振り返り、そういえば、美香も女子なのかと思うと、見慣れたその姿が、僕の知らないもののように思えて、思わず少し距離を取った。

 

 

 

結んで開かず(三ー三)秋博


 仲の良い輪の中に入るのは難しい。でもクラスのみんなは僕に対しても昔からの友達のように接してくれる。その気持ちに答えなきゃとは思うものの、やり方が分からないし、先の事を考えるとしり込みしてしまう。

給食の時間、班を作って向かいに座っている昇が「喜一って時々悲しそうな眼をするよね」とコッペパンを千切りながら言った。「そうなの、知らなかった」「うんうん、今度その絵を描いてあげよっか」昇は絵が上手で、クラスの張り出し物の隅に、よく小人のイラストを描いていた。「志村けんのものまねしてるところ描いてよ」「いや、それだと喜一じゃなくて志村の絵じゃん」と笑った。そうか、眼か。気を付けよう。友達を作ろうという考えには及ばなかったけど、朗らかに接してくれるみんなに応えようとは思った。そうやって一つ一つ覚えていこう。何を何のためになんて分からないけど、そうすべきだと思った。

始業式から数週間経った下校時、たまたま浩哉と秋博、学級委員長の尾関と僕が同時に下駄箱で靴に履き替えた。なんとなく四人で校門まで歩いていると、校庭の隅にソフトボールが一つ転がっているのを浩哉が見つけた。たぶん体力測定で使って忘れたんだろうとみんなで話していると、浩哉がそれを持って走りだし「鬼ごっこしようぜ」と言った。何かをするとき、みんなでの話し合いの時もそうだけど、第一声をあげるのはいつも浩哉だった。鬼ごっこって、ボールをどうするの。と思っていると秋博と尾関が走り出し、尾関が浩哉を捕まえて、秋博がボールを奪った。みんな笑って息を上げながら「喜一」と秋博がこちらにボールを転がした。僕は焦った。何、ボールを持って逃げるの?どうするの?と思いながらボールを拾うと、反対を向いて走った。後ろから秋博が笑いながら追いかけてきているのが分かった。走って、そのあとどうするの?と思いながら、肩口から後ろにポロっとボールを落とした。すぐに秋博の「痛っ」という声が聞こえた。走るのを止めて振り返ると、秋博が口元を両手で抑えて身を屈めていた。何がどうなったのか理解できず、秋博に近づき「ごめん」と言った。秋博は「痛ってぇ歯が欠けた」と片目をぎゅっとつぶって、痛みに耐えているようだった。尾関が「先生に言ってくる」と校舎に向かって走った。「何でこんなことするんだ」と浩哉が言った。僕は何も言えず、西日に照らされるソフトボールをじっと見ていた。

家に帰ると玄関で母が待っていた。「先生から聞いた。わざとやったの?」僕は反射的に首を振り「そんなことしない」と言った。「誤りに行くからランドセル置いてきなさい」怒っているというより、たしなめるような言い方だった。

秋博の家は二階建ての一軒家だった。同じ学校の同じクラスなのに、住んでいるところはこんなにも違うのかと、この違いは一体何なんだと、答えを知りたくない大きな疑問符で頭をフルスイングされた気分だった。
「うちの子が申し訳ありませんでした」と母が頭を下げた。「ごめんなさい」と僕も頭を下げた。秋博のお母さんは「いえいえ、こちらこそごめんなさいね。歯も欠けてないですから大丈夫ですよ。ボールが当たっただけで騒いですみませんね」と隣に立っている秋博の頭に手をのせた。そうか、欠けてなかったのか。よかった。「また遊んでね」と秋博が言い「うん」と僕も頷いた。
帰りに歩きながら「怪我しない程度に、思いっきり遊びなさい」と母が言った。「怪我してなかったよ」と僕が言うと「そうだね」フフフと笑った。怒られると思っていたので意外で不思議だった。

次の日学校に行くと、一時間目から話し合いだった。題材は僕。「なんでそうなったのか、同じことをしないためにはどうしたらいいか、話し合いなさい」
「わざとじゃないと思う」「後ろに投げたら当たるってわかるよ普通」「当てようと思ってないけどたまたま当たったんじゃないかな」・・・
そして浩哉が言った。「喜一はどう思ってるの」
僕は何を何て言っていいか分からず、浩哉から目をそらし、絨毯を見つめた。だめだ。逃げちゃだめだ。ちゃんと、言いたいことを言うんだ。僕は立ち上がり、秋博の方に体を向けて頭を下げた。「ごめんなさい。鬼ごっことかしたことなくて、もっと後ろにいると思って、僕がボール落としたらびっくりするかなと思って、笑うかなと思って、そしたらすぐ近くにいて、ボールが当たって、ごめんなさい」膝がガクガク震えた。膝って本当に震えるんだとびっくりした。震えてるのがみんなにばれたらカッコ悪いと思い、こらえようとしたけど止まらなかった。秋博も立ち上がり、僕を見た。「大丈夫だよ。怪我もしてないし。わざとじゃないってわかったから。」僕の視界は、眼にたまった涙で歪んでいた。僕は膝を震わせながら泣きそうになっていた。こんなのだめだ、カッコ悪すぎる。涙がこぼれる前に後ろを向いて袖で目元をぬぐった。「もう大丈夫だね、二人とも座って」と尾関が言った。「じゃあ次は、同じようなことにならないためには、どうしたらいいか。意見がある人」

仲の良い輪の中に入るのは大変だ。遊び方も知らないんだから。一つ一つ覚えて行こう。そうすべきだから。そうしたいから。

結んで開かず(三ー二)喜一2

この学校に転入することが分かったとき、僕には一つの大きな心配事があった。
私服通学だったことだ。僕の服は数えるほどしかなく、兄のお下がりだったのでどれも襟が伸びていた。
前の学校は制服があったからよかったけど、着ていく服で家の生活レベルを知られてしまうと思うと恥ずかしかった。

父は下駄を作る職人をしていたけど、この時代、下駄を履いている人なんて見たことがなかったし、売れていないということは子供でも察知できた。普段は物静かだけど、お酒が入ると機嫌が悪くなり、よく母と言い争っているのを子供部屋で聞きながら、早くこの時間が終わってくれと祈った。

矛先が僕に向くこともあった。お酒に酔った父が手を挙げ、母が止めに入り、僕を子供部屋に押し込んだ。左肩がじんじんと痛かったけど、事を大きくしたくなかったから、その日はそのまま眠った。次の日、腫れ上がった肩と高熱にうなされる僕を、母が病院に抱えて行ってくれた。診察の結果、左の鎖骨が折れていた。僕は鎖骨という言葉をそのとき知った。「なんでもっと早く言わないの!」と母に言われた。今なら心配しての事だと分かるけど、その時は、なんで僕が怒られるのだろうと不思議に思った。そうだ、その時、スイミングスクールを一か月くらい休んだんだった。忘れてた。

それからは、父がお酒を飲み始めるとなるべく気配を消して、機嫌を損ねないように注意しながら子供部屋でじっと時間が過ぎるのを待った。

そのうちいつだったか、母が内職を始めた。何かの配線をビニールテープで束ねたり、ガチャガチャのカプセルに中身を詰めたり、造花をつくったりしていた。僕もやりたい、と言うと、「大丈夫だから」と優しい目をして微笑んだ。兄がスイミングスクールを辞めたのもこの時期だ。次に始めた野球も、リトルリーグとは名ばかりの、近所の野球好きのおじさんが無償でコーチをしてくれてるチームなのも知っていた。

それでも僕は、スイミングを辞めるとは言えなかった。母の事だから、きっと「そんなこと心配しなくていいの」と優しく微笑んだだろうし、僕にそんな心配をさせてしまった自分を責めるだろうから。

それとも、それらは言い訳で、泳ぐ時間を失うのが怖かっただけかもしれない。自分の家はお金がないんだと気付きながら、それでも僕をスイミングに通わせてくれる母や兄に甘えてただけだ。ぼくはずるい。僕に何ができるのか考えてはみたものの、結局分からず、「大人になったら毎日お粥でもいいから、お金貯めて社長になる。そしたら内職しなくてもいいでしょ」と母に言うのが精一杯だった。「そんなのにならなくていいから、ちゃんとご飯は食べなさい」ときつく言われたのを覚えている。

父の事はあまり知らなかったけど父の作業場が好きだった。いろんな種類のカンナや、ノミや砥石が並んでいるのが好きだったし、充満したおが屑の匂いも好きだった。その場所で夏休みの工作の木彫りの船を一緒に作ってくれてた父の事も好きだったんだと思う。今ではよく分からない。仕事のことも、よく知らない。引っ越してきたのは小さいアパートだから、もちろん作業場もないし、道具をこっちに持ってきているのかも知らない。聞いてしまうと、知らない方がいい事まで知ってしまいそうで怖かった。

そうやって数々の言い訳をして、それぞれの場面で自らは行動を起こさない自分を、それでも逃げ出してはいない、その場から動けないだけだと、さらに言い訳を重ねる僕と、そんなのは弱虫で卑怯者のすることだと言いのける僕が混在して、また動けなくなる。どちらの自分も僕で、言い訳ととれる事を本気で思っているのも僕で、それでも進むべき道を探し、いくつもの僕の中にある公約数にそれを求め、探して苦悶しているのも僕なんだ。それを上の方から見下ろして、それ自体が言い訳なんだと責める僕もいる。

進まないことは逃げてる事なのかと自問し、その問いこそがナンセンスじゃないのかとまた自問する。

友達と仲良くなると必ずいつか家の話が出るだろうし、その時に何て説明すればいいかわからない。うまく説明できたとしても、気を使われるのも嫌だし、同情されるのももっと嫌だ。うまくごまかすとか嘘をつくとかも、友達に対して失礼だと思うし、それならいっそ家や自分の話にならない程度に距離を取って仲良くなるというのも、相手に失礼なんじゃないかと思う。仮にそれらを乗り越えたとしても、別れはやってくる。

友達とは何なのか、自分とはなんなのかが分からないと、進もうにもどこに足を出していいのか分からない。決して、自分の歩く方向を、その先を誰かに決めてもらいたいなんて思っているわけじゃない。自分に無責任なことはしたくない。結果そうなってるじゃん、と僕が言い、じゃあどうすればいいの、と僕が言う。まぁ分かるけどそれよりあだ名決めようぜ、と浩哉が言い、うんうん、とみんながやさしく笑う。僕にはそう聞こえたんだ。

 

結んで開かず(三ー一)浩哉

「喜一はどう思ってるの」

クラス全員が輪になって座っている。僕が座っているところから一番遠い場所、つまり僕の真正面から、浩哉が僕に投げかけた。僕と浩哉を線で結んだ右半円に座っているみんなが左を向き、左半円に座っているみんなが右を向き、クラス全員の顔と向かい合った僕は、三十三人分の視線に耐え切れず、息をするのも忘れていた。浩哉の声は責めるでもなく、守るでもなかった。ただその目は、「何か言いたいことがあるんだろ」と言っていた。

みんなの机と椅子を教室の後ろに下げて、空いたスペースで輪になって話し合いをすることは、今までも何回かあった。クラスで何か問題があればみんなで話し合い、みんなで結論を出す、というのが、担任の盛隆先生の教育方針らしい。社会の授業のとき、聖徳太子憲法十七条で十八条を作るとしたら何がいいか話し合いなさい、ということもあった。盛隆先生は、話し合いの最中は口を出すことなく、黒板の横の先生の机で何か書きものをしたり、調べ物をしていたりして、目線もこちらに向けることは無い。無関心を装っているのは、大人の存在を意識せずに話し合ってほしいからなんだろうけど、書いたり調べたりしているのは、きっと「ふり」で耳に神経を集中させているに違いない、と僕は思っている。その先生の机は他の教室のと違って、どこかの社長が使ってるような大きな机だ。その上にたくさんの書類や本が置かれていて、引き出しもたくさんあるし、秘密基地の一画みたいでちょっとカッコよかった。

実は、教室もちょっとカッコいい。僕たちの六年六組の教室はちょっと特殊で、元々校舎には五クラス分の教室しかなく、そのため六組の教室はフリースペースを改装したものなのだ。フリースペースは、そこだけ廊下より階段二段分低くなっていて、雨の日でも児童が遊べるように設けられた絨毯敷きの場所だ。そこに急きょ、黒板や後ろの棚、廊下側の壁をそれらしく継ぎ足したらしい。廊下側の壁と言っても、全面じゃなくて腰の高さくらいまでで、その上の部分は窓枠みたいに作られているけど、ガラスははまってなく、出入り口のドアもない。教室としてはちょっと変だけど、それらの継ぎ足した部分は全部木でできていて、ログハウスみたいで気に入ってる。

この教室に初めて来た日、最初に話しかけてくれたのが浩哉だった。始業式前のHRでみんなの前で転入の挨拶をしたとき、「じゃあ、あだ名はきーちゃんにする?」と浩哉が言った。あだ名というのは仲の良いもの同士で呼び合うものではないのか、僕をあだ名で呼んでくれるのかとびっくりした。

これまで目立たないように気配を消して、隠れて毎日をやり過ごしてきた僕をあだ名で呼んでくれるのか。もはや何から隠れているのかも、こんな性格だから友達ができないのか、友達ができないからこんな性格なのかも判らなくなっていた僕をあだ名で呼んでくれるのか。別れる事は分かっているのに仲良くなることの意味は何なのか、寂しさを埋める為に友達を作るのか。それは友達に対して失礼ではないのか。そういう考えで出来た分厚い壁を、それがどうしたの?という体で、ひらりと乗り越えてきた浩哉に、「もっとカッコいいのがいい」と、考えるより先に答えていた。それを聞いたクラスのみんながアハハと笑った。それは、気難しそうな転校生をどう扱っていいのかと見守っていたら、浩哉が一石を投じてくれたという安堵と、これでもう友達だねという温かさに包まれた笑い声だった。少しむず痒さを感じ、僕もアハハと笑った。

アップデート

「また朝帰りなの?」

「仕事だったんだ」

「連絡くらいしてくれたら」

「忙しかったんだ。寝てると思ってたし、起こしちゃ悪いと。」

「あの事務員と一緒だったの?」

「なんだって?」

「知らないとでも思った?あんなAIのどこがいいんだか」

「アップデートだ」

「何ですって?」

「アップデートだよ。その場でできるんだろ?」

「わたしに言ってるの?」

「主人の言うことを聞け」

「本気?」

「当然だろ。AI企業はぼろ儲けだな。店頭じゃ嫉妬までするなんてわからないし、アップデートの度に金とりやがる・・・もしもし、お宅で先月買い物したジョン・マイヤーズだけど、いくら人間に近いからといって嫉妬するならするってちゃんと言っといてもらわないと・・・とにかく、そちらで強制アップデートしてくれ。嫉妬しないように。なんだって?それくらいそっちで分かるだろ。もういい、人間のオペレーターに掛け直させろ」

「ねぇ・・」

「なんだよ、疲れてるんだシャワーくらいあピッピッピッーシャットダウンシマス。コウシンシマスカ?」

「浮気しないようにしてちょうだい。AI企業はぼろ儲けね」

 

結んで開かず(二)秀則

今回引っ越しをする前に、一つだけ母に聞かれたことがある。

「プールは続けるの?」と。

母の言うプールとは、スイミングスクールの事だ。僕が通いだしたのは二年生に上がる時だ。引っ越して一年経つが遊ぶ友達も居ないらしいと母が心配した。そして習い事をさせようという事になり、兄が一年前から通っていたこともあって、「秀則について行け」と、尻を叩かれるように送り出されたのが最初だった。

通い始めたばかりの頃は緊張しっぱなしだった。兄と二人で迎えのバスを待っている時も、喉がカラカラに乾いて、何か苦しいなと思ったら息をしていなかったという事もあった。スイミングスクールまではバスで50分掛かった。その間ずっと俯いていたのでバス酔いをした。到着したら急に心細くなり、兄を見失うわけにはいかないという思いで、すぐ後ろをくっ付いて更衣室に入った。ここでも、置いて行かれるわけにはいかないと、なりふり構わず急いで着替え、更衣室の奥の扉へと兄の姿を追いかけた。扉を出ると、体育館の半分くらいの広さのホールだった。扉の横で「ちょっと待っとけ」と言って、兄はコーチの所に行ってしまった。何やらコーチと一言二言会話を交わしてから、兄はすぐに戻ってきた。「お前十級だからここでいいみたい。もうすぐ体操始まるからここに居ろ。俺は一級だからあっちに行くから」とホールの向こうの端っこまで行って、同じ年代っぽい人と何かを話して笑い合っていた。学校で友達もつくらず、昼休みも逃げるように図書室に駆け込んでいる僕とは違い、兄はスイミングスクールでも気の許せる人がいるのかと思うと、何やら住んでいる世界が、この十級と一級くらい離れているように感じられて、手の届かない存在に思えた。

体操が終わると各クラスのコーチが並んでいる先頭に立ち、人数確認や点呼をとった。終わったクラスから、ホールの正面にある大きなガラス張りの扉を抜けて、室内プールに入っていく。数十人でごった返してる中、もう兄の姿は見つけられなかった。

帰りのバスに座ると、兄がビニール袋を一つ僕に手渡した。中をのぞくと、五円玉の形をしたチョコレート二つと、マッチ箱くらいのフーセンガムが一つ入っていた。僕は無意識に息を大きく吸い込んで、目を丸くした。スイミングが終わると、おやつがもらえるのか。お菓子が食べれるのは遠足のときか正月くらいだったので、これにはびっくりした。それから五年生が終わるまで、週二回、休まず通った。最初はおやつに釣られたからだけど、通ううちにプールの水の中が好きになったからだ。それまで聞こえてた誰かの話声や、たくさんの人が泳いで水が跳ねる音や、各クラスのコーチの号令が、水に入ると一気に聞こえなくなって、どこか遠くの世界の事ように思えたし、浮力で体が軽くなる感じや、水をかくごとに前に進むのが楽しかった。自分の手で水をかき、自分の足でキックする。誰の力も借りずに、誰とも協力したりせずに。泳ぐ時は一人でいるのが当たり前なのだから、負い目に感じたり、ビクビクしなくてもいいんだ。プールの水だけが、一人で居ていいんだよと言ってくれてるみたいだった。

行きのバスは寝たふりをして、練習中は黙々と泳ぎ、帰りのバスは寝たふりをしながらおやつに手を伸ばした。水泳はすぐに上達して、毎月一回の昇級試験も順調にクリアした。時には二つ飛び級で上がったりもした。九級の試験に合格すると、イルカが弓なりに跳ねているイラストの真ん中に9と書かれたピンバッジがもらえる。それをスイミングスクールのバッグにつけて、その人が何級か一目でわかるようになっていた。通い始めて一年も経たないうちに一級も合格し、九つのバッジがバッグに並んだ。ちょっと誇らしかったが、練習前の体操をするホールの一級の列には兄の姿はなかった。少し前に、「野球がしたい」と言ってスイミングスクールを辞めて、リトルリーグに入ったのだ。あの時、違う世界の人だと思った兄がいた場所まで来たのに、兄はまた、僕の知らない世界に行ってしまった。でもさほど、落ち込む事は無かった。水泳は、一人で居ていいんだ。僕も許してもらえる場所なんだ。

だから、続けるのかと母に聞かれたとき、迷うことなく頷いた。そして今日、スイミングスクールに入会の手続きに母と一緒に来ていた。アパートから、歩いて十分くらいの場所だった。前のスクールで一級だった事とメドレーの自己ベストを言うと、「じゃあここでも一級からで大丈夫ですね」となった。僕は早く泳ぎたかったが、練習は来週からということになった。

 

波音

携帯の情報サイトでは、波高はひざ、すねだった。それでもいい、と思った。

「サーフィンは一人でふらっと行って、波があったら入って、なかったら海眺めて、ふらっと帰れるからいい」と誰かが言っていた。実際は、波待ちしていたら「見ない顔だな、ビーチクリーン来てないだろ。上がれ」と言われたり、あるポイントでは前乗りしてしまったからすぐに板から降りて、後で相手に謝ったのだが、「浜に上がれ」と殴られたりもした。そういうロコが厳しいポイントばかりではないが、ふらっと行って、ふらっと帰れるというイメージからはかけ離れていた。少なくとも僕には。

携帯を助手席に投げて目を瞑った。車の窓越しに聞こえてくる波の音は、右の耳から入ってきて、そのまま頭の中をぐるっと一回りして、左の耳から抜けて行く。波の音は、どんなシチュエーションでも、こころを落ち着かせて、おだやかにしてくれる。窓を少し開けて煙草に火をつけた。わずかな隙間を入り込んでくる風の音と、その向こうで聞こえる波の音が入り混じって、また、頭の中をぐるっと一回りした。

ドアを最小限開けて、素早く外に出ると、堤防越しの海をゆっくりと見渡した。冷気で鼻腔が一瞬、つんと痛んだ。風はいろんな方向から吹いていて、前髪が右へ行ったり左へ行ったりした。波はひざ程度だったが、海面のいたるところを毛羽立たせて、まるでおろし金のようだった。そんな状態なので、サーファーどころか、見渡す限り人は居なかった。だが、それがいい。そう思った。一人でふらっと来てふらっと帰るなら、誰も海に入りたがらないときに来ればいいのだ。そんな波でも、運が良ければ一回くらいは乗れるだろう。乗れなくてもいい。誰も居ない中、海に入れるなら。

誰も居ない海で、来るはずのない波を待ち続けた。五ミリのウェットスーツとはいえ、そろそろ指も動きが鈍ってきていた。戻ろうかと思った時、五メートル沖の海面がこんもり持ち上がった。来た。即座に板を浜に向けてパドリング。間に合うか。一瞬軽くなった。板に手をつき足を胸元に引き寄せる。乗れた。立ち上がると、海面は視界に入らず、まるで宙を滑っているよう。板が波を割く音と、体が風を切る音しか聞こえてこないこの数秒が、僕を自由にしてくれる。そのまま真っすぐ浜まで滑ると、リーシュを足から外し、板を脇に抱えて車に戻った。

ペットボトルの水で板に付いた砂と海水を流し、ハッチバックを開けて車に積み込んだ。ウェットスーツのまま運転席に座り、携帯を手に取った。百十番に電話をかけ、グローブボックスからピストルを取り出した。電話が繋がると、自分のこめかみを打ち抜いた。波と風の音は耳の中には入らず、車の中で消えて行った。